交野が原万葉学級



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[14] 田口益人 枚方 田口の貴族・歌人 飛鳥末から奈良時代初

投稿者: 投稿日:2018年 6月17日(日)08時29分45秒 softbank060127215217.bbtec.net  通報   返信・引用

田口益人 たぐちのますひと 658ー723年
慶雲元年(704)一月、従六位下より従五位下。和銅元年(708)三月、上野守。二年十一月、右兵衛率。霊亀元年(715)四月、正五位下より正五位上。万葉集には上野国赴任の途次、駿河国で詠んだ歌が二首ある。田口朝臣は武内宿禰後裔氏族の一つで、蘇我氏から分流したという。

田口益人大夫が上野(かみつけの)の国司に任(ま)けらるる時、駿河国浄見埼(きよみのさき)に至りて作る歌二首

廬原(いほはら)の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思(も)ひもなし(万3-296)

【通釈】廬原の清見の崎の三保の浦――その広々とした海原を見ていると、旅の憂いも忘れ、何を思い悩むこともない。

【補記】「清見の崎」は静岡市清水区興津清見寺町の磯崎という。「三保の浦」は今の三保の松原あたりの海。益人は和銅元年(708)三月三十一日、上野国守に任ぜられた。その折の歌。



昼見れど飽かぬ田子の浦おほきみの命(みこと)かしこみ夜見つるかも(万3-297)

【通釈】昼間ならいくら見ても飽きないという田子の浦――大君の命令を畏れ慎んで、夜見ることになってしまったなあ。

【補記】「田子の浦」は静岡市清水区興津の東、蒲原あたりまで弓状の海岸線をなす浦。今田子の浦と呼ばれる土地とは違う。「おほきみの命」は天皇の命により国守に任じられたことを言う。指定の期日までに任国に至るためには旅路を調整せねばならず、景勝の地をやむなく夜通過することになったのだろう。
出自 千人万首より


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